イザラ書房の
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●株式会社 イザラ書房 mail@izara.co.jp
TEL/0495-33-9216 FAX/047-751-9226

 本社
 〒369-0305
 埼玉県児玉郡上里町神保原569番地
 八千代Branch
 〒276-0036
 千葉県八千代市高津1010-18



  社名のIZARAはスペイン、バスク地方の言葉で「星雲」あるいは「銀河」を意味します。イザラ書房の設立は 1969年に溯ります。当初は、ブロッホ、アドルノなどのドイツ、フランクフルト学派の哲学書籍等の出版を行なっていました。1980年代から、オーストリア出身の思想家、ルドルフ・シュタイナー(1861〜1925)が唱道した普遍人智学の翻訳出版を始め、現在では、出版のほとんどが人智学=アントロポゾフィーに関係するものです。今後もシュタイナーが訴えたかったテーマを暖かな魂のこもった形で皆様と共有できますことを望んでいます。



●ルドルフ・シュタイナーと人智学 

 哲学博士。1861年旧オーストリア帝国(現クロアチア)クラルイェベックに生まれる。1925年スイス・ドルナッハにて帰天。ウィーン工科大学で、自然科学・数学・哲学を学ぶ。ゲーテ研究家・著述家・文芸雑誌編集者として、世期末のウィーン、ワイマール、ベルリンで活躍。二十世紀になると、このような一連の活動の成果を踏まえて、「アントロポゾフィー(人智学)によって方向づけられた精神科学」へと足を踏みいれる。スイス・バーゼル市近郊ドルナッハにみずから設計したゲーテアヌムを建設し、普遍アントロポゾフィー(人智学)協会本部普遍アントロポゾフィー(人智学)協会本部とした。

 現在、世界各国でゲーテアヌムと直接つながる邦域協会を中心にさまざまな人智学運動や研究が展開されている。日本における邦域協会は2000年に設立された。現在一般社団法人普遍アントロポゾフィー協会-邦域協会日本と、このNPO法人の前理事長を中心に集まったメンバーからなるNPO法人日本アントロポゾフィー協会の二つの協会が、ゲーテアヌム理事会と連絡をとりつつ存在している。

 アントロポゾフィー(人智学)は、二十世紀以降の人類のために新しい霊的な世界観・人間像への道を開こうとするものである。このような人智学的世界観の基礎になっているのは、ヨーロッパの精神文化、特に哲学的認識とキリスト的なものの体験である。

 現在、シュタイナーの精神科学は、学問領域にとどまらず、さまざまな社会的実践の場で実り豊かな展開を示している。シュタイナー教育(自由ヴァルドルフ学校)・医学・治療教育・薬学・芸術(建築・絵画・オイリュトミー・言語造形)・農学(バイオダイナミック農法)・社会形成(社会有機体三分節化運動)などがその具体例である。

その広大深遠な世界観は、ブルーノ・ワルター(指揮者)、ミヒャエル・エンデ(作家)、ソール・ベロー(作家)、ヨゼフ・ボイス(彫刻家)、今井兼次(建築家)を始めとする多くの人々に影響を与えた。



●イザラ書房 へのインタビュー記事 石原りつこ
   「群馬ルドルフシュタイナーハウス会報」2007年5月版

 シュタイナーに興味を持ち始める方が、その門をくぐって程なくすると目にする出版社「イザラ書房」。私自身も、その名を聞くたびに、どんな出版社なのだろうという興味を抱き続けていました。イザラという名前も何か神秘的で、謎めいて感じていました。我が家のシュタイナー関連本の中にも、イザラさんの本が何冊も並んでおります。ここ何年かで、シュタイナー教育が広まるにつれ、さまざまな出版社からもシュタイナー関係の本が出ておりますが、シュタイナーのこと、アントロポゾフィーのことを熟知していることにおいては、イザラさんの右に出る出版社はないように思います。  群馬の会では、今まで、さまざまなご縁で出会った人とのつながりを大事にしながら、緩やかに広がる「らせん」をイメージでして活動をつづけてきました。このほど埼玉の神保原町という群馬との県境に近い場所にイザラ書房さんが移転してきたということで、代表の澁澤浩子さんが私共のフォルメンの会に何度も足を運んでいただき、交流をもつことができました。この機会に今回の特集では、知らなかったイザラ書房さんのあれこれをお聞きしたいと思います。

1、まずは「イザラ書房の成り立ち、歩み」をお聞きしたいと思います。シュタイナー関係の本を出版されているので、シュタイナーのグループの中から生まれてきたのではと推測していましたが、実際はどうなのでしょうか?

 1969年に創立されたイザラ書房は、もともとは哲学書および美術本や詩集を出している出版社でした。私は18歳のとき(1978年)にイザラ書房の『神智学』『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を友人の書棚に見つけ、シュタイナーという存在を知ったのですが、まさかその出版社に関わるようになるとは当初まったく予想だにしませんでした。当時はC.Gユングに夢中だったのです。

 しかしその数年後『ヨーロッパの闇と光』という小社刊行物の著作者、高橋巌先生同行の「ヨーロッパの闇と光ツアー」が催行されていることを知り、美術上の興味からそれに参加したくシュタイナーの勉強会に行き、高橋先生に出会い、また先生からイザラ書房の創業者のご紹介をうけたのです。当時はシュタイナー関係の書物はそう多くなく、まだまだこれからという時期で、私自身は、1983年ごろ本業の合間にボランティアで手伝ったりしていました。その時は本当に経済的に苦しい出版社で、原稿用紙1枚なくて・・・。一度使ったものを消しゴムで消して使うような有様でした。そうこうするうち自分の仕事が忙しくなったことと「ヨーロッパの闇と光ツアー」が中止になったこともあって、いったんシュタイナーの勉強会ともイザラ書房とも関係が終わりました。

 そして1985年、日本人智学協会が発足したのですけれど、その直前に高橋先生からイザラ書房をサポートして欲しいと頼まれたのです。協会を作るにあたって出版物が必要なのだがそれを出版する出版社がないと。高橋先生の本はイザラ書房からすでに何冊か出ていたので、皆の勉強になるような本が今後イザラ書房から出版できればいいと思うと、そのようなことを言われたのですが、その当時イザラ書房の経営状態が、はた目に見てもわかるほど悪化しているのは明らかだったのです。当時の私と夫の仕事は、全く別ジャンルの仕事で、ハーレクインロマンスの翻訳編集プロダクションだったのですが、非常に忙しい時期で、主人は業界新聞の編集長やら、はてはそこの代表取締役になったり、私は1ヶ月に多い時で6冊位の本を青山のハーレクイン日本支社に納めたりして、めちゃくちゃ大変な時でした。しかし出版のようなリスクがないので経済的にはうまくいっていて資金繰りは潤沢だったのです。ですからイザラ書房において事業的楽観は望めるとは思わなかったのですが、メインの仕事に精神性が感じられず、意義深い出版のお手伝いができればそれは心の幸いと思い、手伝わせていただくことにしました。

 しかし、当時の創立社長が不渡りをすでに数回出していたことが、イザラ書房の役員になった後でわかり、その後見知らぬ債権者がたくさん出てくる中、社長はついに行方不明になってしまうという状況でした。引き受けるという返事を初めの頃にしてしまったのと私たちが筆頭債権者でもありましたので、片手間どころではなくなってしまったのです。

 いま振り返るととても大変な状況でしたが、私たちがやり続けていられるのは、1973年からイザラ書房に関わってこられた編集担当社員の方が、とても優秀な方だったということがあります。その方が『神智学』や『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』等、1970年代終わりに出た本の編集に関わったのですが、人格的にもすばらしく、彼がいたから、イザラ書房を続けてこられたということもあります。今、ご自身で出版社を興されて出版流通対策協議会という100社ほどの出版社で構成する組織の副会長もなさっています。

 まあそんなこんながあり、当時の日本協会とゲーテアヌムとの関係に納得できないものを感じ、事の発端の先生ともついに袂を分かってしまいましたが、数多の人の折々の厚意という不思議な細い糸で命がつながってきた出版社なのです。またイザラ書房のスタッフとして私が初めて手がけた本は、『魂のこよみ』『色彩の本質』で、これは私自身の興味が強くあった本です。

 今現在は私が代表で、姉が役員を勤め、アシスト二名と連携をとりながら進めています。書店からの注文があると業務取引している流通倉庫会社から出荷してもらい、ここ、神保原はもっぱら編集と、発送・発売以外の日常業務の作業場所となっています。また、執筆者との打ち合わせもあります。

(この日もまさに福岡の方が東京経由でいらしていたところにおじゃまさせていただいたのです)

2、それから、社名の「イザラ」ですが、これは何を意味するのでしょうか?実はこれが一番聞きたかったことなのですが(!)。

 創立者がつけた名前です。スペインのバスク地方の言葉で「星雲」という意味があるそうです。宇宙の始まり、宇宙の母体ということらしいです。バスク語ではIZZARAとZが二つ重なるそうですが、社名はIZARAと日本人にわかりやすいつづりになっています。私個人はこの音を聞いた時、旧約聖書のイザヤ書をいちばん初めに連想しました。厳しい預言者の感じですね。また、イザヤ書に続く旧約聖書のエレミヤ書の連想で、哀歌の哀愁漂う雰囲気も感じました。またバスク地方からはイエズス会の創立者、聖イグナチウス・ロヨラや日本の守護聖人となっているフランシスコ・ザビエルが出ています。

そうですか。わたしはイザラという言葉にはとても強烈な印象を持ちました。一度聞いたら忘れないような言葉の響きです。謎めいていて渦まいているような感じです。好奇心で手を出すと引き込まれてしまうようなちょっと怖さも感じました。けれども、星雲と聞いて、確かに、渦をまいている。人間には計り知れない謎、叡智という感じですね。ぴったりはまりました。これで明日から眠れそうです(笑)。

3、出版された本には、やはり、シュタイナーの翻訳本が多いと思いますが、どの様な経緯で出版されるのですか?イザラさんのほうで、企画を出されるのですか、それともシュタイナー関係の方から持ち込まれるのでしょうか?また、シュタイナーの著作に限らず、どんな本を出すかに関して、どのような出版方針を立てていらっしゃるのでしょうか。

 この年になってやっと初めの時とは違うビジョンが形作られてきたかな・・・という感じです。なぜ本を出すのか、シュタイナーとは何者かということに対して、井戸の水が涸れちゃったような感じがしばらく続いていたのです。1990年代後半から2002年くらいまででしょうか。 そのあとだんだんと新田義之先生や秦理絵子さん、西川隆範先生、そういう方たちの影響やいただいた原稿のお陰で、自分なりにイメージをゆっくりとふくらませてきて、こういう感じでいきたいなーというのがだんだん形となってきたというのが、昨年から現在にかけてですね。

 去年病気をして、ちょっとした手術だったのですけれど、体調が変わり、根を詰めて集中して仕事をすることができなくなってしまいました。とにかくゆるんでしまって。ゆるみっぱなしだと「モノ」ってできないじゃないですか。ある種、職人になりきらないと。で、困ったなーと思いつつまだいるのですけれど。・・・ただ原稿は充実したものをいろいろいただいていて、これから出る番を待つばかりというのが10本くらいあります。

 それから、自分の意思がある程度入っている、全体の流れに対して責任を持つという意思がはっきりしてきました。どこへ流れ着くのかわからないけど本づくりしていますというのではなくて、天界=精神界の存在者とともに、全体の流れをある程度把握していきたいと思っています。いつも祈りながら原稿にあたっています。

 それから、原稿に関しては、いつも不思議な経緯があるのです。いきなりポーンとメールで送られてくる時もあって、それが素晴らしいときもありますが、まあ、これはちょっと・・・という場合もある。人の紹介も多いです。新田先生や西川先生などはおつきあいが長くなりますので、こういうのはどうでしょう?というご提案から入ることもありますし、ご提案されることもあります。あるいは自分で翻訳できないけれど、こういうのがあるよと示唆いただくこともある。人とのご縁が主で、長年の人間関係のお付き合いから本が生まれてくることが多いですね。

こういうのを本にしたいと持ち込まれて断る時もあるのですか?

 あります。お断りするときもあります。

 自費出版や販売協力も行っていますが、自費出版ならなんでもいいかというと違うのです。やはり納得できるものでないとできません。編集者はいまのところ私だけなので。ある程度制作のインフラができて編集の段取りがシステマチックになってきたら、もう少し生産的な本作りができ、新刊がコンスタントに刊行できると思います。ただ、今のところはまだまだ畑に種をまいて芽がちょっと出たかなというところですね。今は非常にゆっくりと丁寧な進め方をしています。ちょっと無理だと思ったらすぐお断りしてしまう、無理をすると祈りやファンタジーが消えてしまい、機械的な作業になるので嫌なのです。イザラ書房としては今そんな感じですが、出版の世界では24年間、四半世紀自分はこの仕事に関わっています。

なかなかできないことですよね。すごいことですよ。

 いや、抜けるに抜けられないんです・・・(笑) 与えられたものなのでしょうか。

4、今まで出版してきた本の中で、心に残っている本、苦労した本など、出版秘話などありましたらお聞かせください。

 心に残っているのは『民族魂の使命』と『一般人間学』ですね。 ヘッセやユングは好きでしたが、シュタイナーやドイツ語文化圏に対する違和感などは当初から結構あったのです。今もその力強い構造とロマンの激しさにいささか身が引けてしまうところがありますけれど。それを気にせずにぐいぐい読めた本が、まずはこの『民族魂の使命』でした。そこには大天使のことが書かれていて、民族を守護する天使というのは、個人を守護する天使の上のヒエラルキーにあたる大天使存在なのだそうです。それが、北欧神話との関連で非常に詳細に書かれていて、私にとってはものすごくファンタスティックで心躍るような本でした。いかにキリスト存在が偉大か、シュタイナーの熱い思いがひしひしと迫ってくるこの本がきっかけで、20年ぶりくらいにようやくキリストに立ち返ろうという気持ちを持ち始めました。

   実は子どものときに『ナルニア国物語』(C.Sルイス著、児童文学 戦争中にイギリスの田舎に疎開してきた4人兄弟が、古いタンスを通って、ナルニア国へ迷い込み、ライオンの姿をした国王アスランと共に冬の女王と戦う。著者はキリストとしてアスランを描いている)を読んだことがきっかけでイエス・キリストに関心が向かったのですが、聖書を開いても理解できないことが多く、逆に反発してしまいその後ずっと避け続けていたのです。聖書に当たって砕け散ってしまったのですねえ・・・。 『一般人間学』は他社からも出ています。でも新田先生の手になる原稿があまりに透明感があり、熱意にみちたものでしたので、思わずそこに私はシュタイナーの顔を見てしまったのです。原稿用紙の書き方で翻訳者の折々の思いが分かるものですが、ものすごいエネルギーと誠実を新田先生がこの本に注がれているのに圧倒され、おそるおそる本にさせていただきました。また書かれている内容もすごいものです。

 シュタイナーの著作の中にもキリスト教に関するものがたくさんありますよね。日本人にとって、天使やキリストはやはり違和感のある存在だと思います。編集の仕事をしていてそのあたりが難しいのでは。

 キリストやキリスト教についてシュタイナーが述べていることで、良心的な聖職の方があえて誤解や混乱を避けるため語らないようなことを、はたして出版してよいものかというためらいもあります。また伝統的キリスト教会については戦後の猛反省を経て大きく変わり、1960年代の第2ヴァチカン公会議以前以後ではキリスト教世界はまったく様相が変わってしまっている。分裂から全世界教会へ向けての対話と融合・異宗教間の対話が積極的に行われています。1920年当時の退嬰的なキリスト教会と第2ヴァチカン公会議以降のキリスト教会は別物といえるのではないでしょうか。また禅において印可を受けたイエズス会修道士の方などは、老荘思想や仏教の空の思想とキリスト教は矛盾しないとも言いきっています。だから、編集していても、むかーしの教義に縛られた古くさいキリスト教会のことがまるで今のことのように出てくると、ある時点で私の素朴で無邪気なエネルギーが止まってしまうのです。神からの膨大な無条件の愛と、悪しき呪縛からの解放をこんなにも気前よく教えてくれる宗教はないのではないかと思っているのですが、世間のイメージは逆ですよね。それにちゃんとしたところは布教活動をほとんどしていないし、キリストの教えとはとても言えない危ないところほど訪問勧誘とか熱心ですしね。宗教と言うと日本ではやみくもに悪いイメージがありますので、あらゆる精神性を包括し、進化し続けるキリスト・ダイナミズムと言い換えてもいいのかなと最近では思っています。

 というようなわけでシュタイナーのキリスト論の展開は、あと一息なんだけれども登りきれない山といえます。なかなか日本の風土ではつらいものがあります。真の宗教性、真に聖なるものは人の心を癒し、深い安らぎを与えてくれると実感しているのですけど、残念ながら誤解されやすいですね。この点、聖職者や神学者の方のご助力をいただきたいです。

 またシュタイナー自身は超感覚的な精神世界=天界がダイナミックに見えていたのですけれども、私自身は見性したわけでもないのでそこが追いついていかないですね。ただ深い祈りの中で心を静め、心の耳目を開くようにすると、悟りを開いていなくても次々にインスピレーションが与えられるので、なんとかなっている感じです。

 私の役目は読者の方たちの魂の糧となるようなものを、柔らかく包み、届けさせていただくというようなことでしょうか。一冊一冊気持ちをこめて皆さんにお届けしたいですね。イザラに関して言えば、天からの宝珠を受け取る花冠でできた聖杯のイメージも無意識にあります。花冠の聖杯の下では3本の剣エクスカリバーが回転していました。これはイザラ書房を続けたほうがいいのかどうか悩んでいたとき受けた、サイコセラピーのワークショップで深層意識から出てきたイメージです。銀河を花束のように手に持ち、父なる木星を足元に、星のヴェールを被った宇宙の花嫁のイメージに続けて出てきました。

 それから、私がシュタイナーの翻訳原稿をいただいての本作りにあたる際に思うことはどうしたらこの中の命が生かせるかということです。ただ機械的に誤字、脱字をチェックして、要件を満たしていけばそれだけで本ができることはできるのです。でもそれでは広く皆さんにその本を薦めることはできないのです。見てください、こんなにすばらしいんですよとは、自分で思わなければ言えないじゃないですか。これはかつてのプロダクション時代とは大きな違いです。だから、今ちょうど手伝ってもらっているスタッフのみんながスケジュールどおりいかないことでイライラしたり、読者の皆さんにお待たせしたりしていますが、刊行の意義が未消化のまま、つまり命の火が灯されないまま世に出すわけにはいかないのです。

 また、内容的に私自身追いついていかない部分は、何とかする為に、手当たりしだい気になる本を読んでみます。カトリックの伝統の中から生まれてきた祝祭日の典礼とか、聖フランシスコ(中世のイタリアの聖人)の存在とかもすごく大きな慰めになります。シュタイナーも同様ですが自然界に神の現れを見ていたわけですから。聖フランシスコやマザー・テレサなんてその方がいるだけで周りが次々に変わっていってしまったのでしょうね、素晴らしいことだと思います。それから禅の鈴木大拙の著作とかヴァガバッドギーターの解説書なども非常に参考になります。またカトリックの黙想指導司祭の方が書かれた宗教上の体験談や祈りの本、そして五木寛之さん、この方は真宗大谷派ですか、そういうもの全部が私の編集の力になっています。それから以前、神道のグループの方達と山歩きをしたり、瀧に打たれたりしたことも尽きせぬ泉のようないい体験です。本が形になる、ものが形になる前の段階ですけれど。

 キリスト教に関しては、シュタイナーが非常にキリストのことを愛しているうえ、どの著述にもキリスト存在の気配があるので、向きあわざるを得ないのです。やはり核心ですよね、そこがね。だから私自身はイギリス国教会の流れの日本聖公会でですが、キリストの子どもとなるために洗礼を受ける運びになったのだと思います。敬愛するC.S.ルイスがイギリス国教会だったので、結果まったくスムーズに恵み豊かな信仰生活に入ることができました。他方、薔薇十字会の精神性を後継し、聖杯騎士団長たるシュタイナーは、私にとってはなんというか、運命です。

 それから、リズムの大事さ。毎日の祈り、一週間に一度のお祭り(礼拝)、これが積み重なるとかなりな変容が起こると思っています。らせん状に連なって、一日、一週間、一年、何年も祈りを積み重ねてきたひとのオーラは違ってくると思います。超感覚的に見えなくても、すでにその方の雰囲気や、お話しするときの気配に顕れていますね。荒々しくも素っ気なくもなく、柔和で謙虚です。祈りというものが定期的・周期的なリズムで行われているということは、目に見えないところでその人を大きく変化させていくのではないのでしょうか。

 そうですね。それはキリスト教など宗教を問わず、仏教徒でもイスラム教徒でも同じです。祈りというものは独りよがりの神頼みでなく、神との対話の時間ですが、とりとめのない自分の心をひとつにまとめて差し出す行為でもあります。人間は神のような存在に近づきたいという気持ちを持ちながらも、同時にどうしても悪の道にひかれてしまいます。あれが欲しいとか、あの人嫌いとか、自分だけ認められたいとか・・・。でも、祈りという時間を持つことによって、背骨を正す。そういう欲ではなく、自分の心の底にあるであろう本当の自分に触れる時間だと思います。日本人は特別な宗教を持たないように見られていますが、宗教心のようなものは持っている人も多いと思います。ただ、毎日祈りの時間を持つという具体的な積み重ねに大きな力があるということがもっと大事にされてもいいと思います。祈りと言わずとも、心をこめた「おはよう」の挨拶とか大事ですよね。

 先日『ブラザーサン、シスタームーン』のDVDを見ることができました。初めて見たのは中学2年生のころ、聖書に当たって砕け散る直前ぐらいに見たのですが、その時以来です。聖フランチェスコの生涯を描いた映画です。その中で、「どんなことでも心をこめてやればそれは清いことである。」「ゆっくりやりなさい。ひとつひとつやりなさい。」とフランチェスコが微笑んで歌いながら教える場面があるんです。

 私も20数年前見ました。オリビアハッせーの「ロミオとジュリエット」で有名な監督が作った映画で音楽と映像がとてもきれいです。石をひとつひとつ積み上げながら教会を建て直す場面の言葉ですよね。マザーテレサも同じような言葉を残しています。「何をしたかが大事なのではない。どれだけ心をこめたかが大事なのです」と。ただやればいい、仕上げればいいということでは決してない。

 そうそう、仕上げればいいとは、私がかつてやってきたことです。それではもうダメなのです。喜びにあふれた仕事=生き方にならないのです。家事で追われている主婦にとっては、どんなささいなことでも一つ一つ丁寧に心をこめてやればそれは素晴らしいものになる。

 主婦の仕事、編集者の仕事いろいろな仕事がありますが、読む人の心の糧になるような本を私なりにどう作れるか、それも喜びとともにということを、私自身は見つめていきたいと感じています。

 きょうはお忙しいところお時間をさいていただいてありがとうございました。奇しくもきょうはシュタイナーの誕生日です。シュタイナーがここに私たちを会わせてくれたのかなという気もしてきます。本を手に取ったとき、日ごろはあまり意識していませんが、著者と読者の間にもう1人、編集者という大事な存在があるということに気づかされました。心をこめて整えたものを人々へと送り出す。それは子どもたちが気づかなくても、日々掃除洗濯の家事をこなしているお母さんのようですね。ひとつまたひとつと石を積み上げている渋沢さんのお仕事に対する姿勢に、日々の生活の中で本当に大事なことを改めて教えていただきました。どうかお体を大事にこれからも私たちへ良い本を届けてください。